昨日参加しました「村上光照老師との一期一会の会」。別ブログにも書きましたので、ご覧ください。
この会の締めくくりに、皆さんで歌ったのが『いつも何度でも』。ご存知『千と千尋の神隠し』の主題歌ですね。
こちらの歌、ランディさんがおっしゃるには「村上老師のおっしゃっていることと同じな氣がして…」。歌詞を見ると、確かにそのとおり。
今回やけに響いたのが、歌詞に出てくるゼロになるからだ
何度も聞いているはずなのに、全然聞こえて来なかったゼロになるからだ
。
作詞をされた覚和歌子さんのインタビュー。
www.mammo.tv
「死を思わせる言葉」と書いてありますが、どこか永遠も感じます。
以前ある先生からお聞きした「日本語の『からだ』は“肉体”としての身体だけを表しているのではない」ということを思い出しました。
同時に「死を思わせる言葉」と評されているゼロになるからだ
から、なぜか健康体が浮かびました。
イメージとしては、無邪氣なからだ、ですかね。
いつでも「ゼロになれる」って、すごいと思う。巡っているからゼロになる訳で、滞っていたら詰まっていたら固まっていたらゼロにはなれない、のです。
これは私の考える「健康」なからだそのもの、ですわ。
「死を思わせる」ものが私が考える「健康」と同じ、とは面白い!
「それはどうしてだろう…」と少し考えてみました。
「死は自然の摂理」ですね。
自然のあらゆる生きものは生まれ、やがて死に、そしてまた生まれ、また死んでいく。死なない生きものはいないわけです。もし死なない生きものを知っていたら教えてください。
その生きものにとって絶好の生まれ時があるように、絶好の死に時があります。
絶好な時に死ねない生きものは「健康」とは言い難いのではないでしょうか?
「死は忌むべきもの」でしかない世界においては、ただひたすら、死は悪者とされ避けられ隠され無視されます。でも「死」自体は無くなりません。
自然の摂理においては、生と死は平等に訪れるもので、両方あって一つです。
まさしく陰陽☯️ですね。
・・・だからからだ、だ!
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