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はり灸 一香堂のひとが書いてます

人それぞれだけど、根っこは一つ

先日配信された、日本エドガー・ケイシー・センターのメルマガ「体感と内なるドクターの重要性」をシェアいたします。

グラディス・マクギャレイ博士の言葉、インスパイアされます。

医者には症状を取り除く、抑える、緩和するといった治療は出来ても、真の治癒をもたらすことはできない。
患者自身の内なるドクターが芽を覚ますまで本当の癒しが訪れる事はないのだ。
私達は皆、大きな全体の一部なのだから、一人ひとりが自らの癒しに責任を持つ事は大きな全体としての向上につながるだろう。 

 「〇〇が治った!」情報はとても魅力的です。

しかも「△△で〇〇が治った」なんてことを聞くと、とりあえずは「どれどれ?」と覗いてみたくなります。ま、実際覗いています。

先月こんなことを書いていました。

hitokadoh.hatenablog.com

マクギャレイ博士が言うところの「内なるドクター」は、ただ治療を受けるだけでは目覚めない、「一人ひとりが自らの癒しに責任を持つ」ことが大切なのです。

・・・ではありますが、なんとなくわかったようなわからないような…という方もいらっしゃるかもしれません。

まずは「そのことを意識する」「そのことを決意する」ことから始まります。それだけでいいの?それで変わるの?、という疑問もあるでしょう。

その意識・決意を持ち続ける、ということがキーです。

人は人であるが故に、揺らぎます、迷います、諦めます。
それでも、いいのです。また、意識すればいいのです。また、決意すればいいのです。

揺らいだ自分、迷った自分、諦めた自分を、責める必要はありません。
それをするより先に、また、意識すればいいのです。また、決意すればいいのです。

そして、そのような意識・決意から起きてくる具体的な行動や感情は、人それぞれです。

全く違う行動をしていても、その根源が同じ「自らの癒しに責任を持つ」だったりします。だから、行動だけを見ていて、「あれは間違い」とか「こちらの方が正しい」とかは言えません。

同じ人は一人としていない、ように、癒しの道も内なるドクターの目覚めも千差万別。そこに辿りつく過程もさまざま。いのちは多様です。

日常生きていると、目先のことについ囚われてしまいますが、その先…というかその根っこを忘れないでいよう。…と自分に言い聞かせている笑

いつも、大いなる根源とともにありたいですね。← これも自分に言い聞かせている。

 

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いのち磨きのお手伝いいたします、一香堂より。

 

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豆腐パックで鎮静・美白

愛読しているムラキテルミさんのブログで、豆腐パスターのことを読み、

ameblo.jp

2002年に購入して以来たびたびお世話になっている 『からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て』 を、久しぶりに開きました。
私の持っているのは古い方で、2008年新訂版⬇️が出ています。今お買いになるならこちらを。

からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て 新訂版

からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て 新訂版

 

そうか、冷やすのに豆腐もいいのだな。

思い出しました、薬膳!
豆腐は寒性の食物です。寒い季節・冷え性の場合は、温かい料理で食べる、温性の薬味(例:ショウガ、ネギ、ミョウガ、シソ、ワサビ)と一緒に食べるなど、工夫が必要です。

ちなみに大豆、豆乳、湯葉は平性(温める作用も冷やす作用もない)です。
(薬膳においては)食べ物の多くは平性です。

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大森先生の本をパラパラ見ていたら、豆腐パックというのがありました。立秋も過ぎ、こんがり日焼けはもうないと思いますが、ほてったときに良さそう!

というわけで、に掲載されていた「豆腐パック」をご紹介します。鎮静だけでなく、美白効果もあるそうです。 

●材料(1回分):豆腐 1/6丁、きゅうり 1/9本、レモン汁 少々、小麦粉 大さじ1.5〜

●つくり方&用い方:
ボウルに水きり豆腐を入れてザックリつぶし、すりおろしたきゅうりとレモン汁、小麦粉を入れてよく混ぜあわせ、ぬりやすいかたさに調節します。 顔全体にぬりのばし、20分ほどたったらぬるま湯でよく洗い流します。

手元になかったのできゅうりなしで、試してみました。

水分が少なすぎた(きゅうりなしだったから?)、プラス混ぜ合わせが足りなかったせいで、「ぬりやすい固さ」より固めにできてしまいました。
なので、「塗る」というより「乗せる」感じに…20分経つまでにパックがこぼれてきてしまい、失敗作?です。
「ぬりやすい固さ」調節がポイントですね。次回は、豆腐の水切りを短めにします。

パックを洗い流した後は、しっとりひんやりで氣持ちいい〜肌になりました。鎮静効果はあります!
美白効果は?・・1回ではわかりませんでしたが、継続が必要でしょう。

ほかに食べ物を使った美容法としては、冬の間ヨーグルトパックをときどきします。乾燥肌にいいですよ。
顔にヨーグルトをぬるので、ヨーグルトの匂いが直撃します。ヨーグルトの匂いがダメな方にはおすすめできません。

思えば、この本で初めて「食養」を知りました。
当時は代替医療に詳しくなかったので、第1章「台所は家庭の薬局です」のタイトルに「それはないでしょ!」と疑いながら読んでました。同時にワクワクしながら。

食養も陰陽理論です。
たぶん、生活の中で初めて陰陽を意識したのはこの本を読んでから。陰陽のパワーに衝撃を受けリアルに感動したのもこの本から。

病気の手当ても体質改善も、食べものがもつ陰陽の力を借りてからだのバランスをととのえる。たったそれだけのことで、驚くほど効果があります。

この本を手にしたときは、まさか自分が鍼をうつようになるなんて思わなかった〜。

大森先生のインタビュー、見つけました。

style.vegewel.com

「みんな病気を治したい、健康になりたいって言うけれど、病気や不調は自身の偏りを教えてくれているものだから、そこに気づいて新しい生き方をする決意をしないと。

受け身で指導を受けて健康を取り戻しても、一時的な回復で終わっちゃう。だから、まずは大きな夢を持って欲しいの。

自分の人生をもっと大きく描いて欲しい。我欲じゃなくて、健康になってもっと社会のために自分を役立てたいとか、大きな夢を持たないと努力は続けられないの」

(大文字強調は引用者)

いいこと、おっしゃる!!

最近、食べ物がジャンク氣味でした…
季節の変わり目でもありますし、リセットします。

食べものでも整いますが、鍼で積極的にからだの陰陽を整えましょう!
f:id:hitokadoh:20170915125403j:plain 陰陽の力、あなどれません! f:id:hitokadoh:20170915125403j:plain

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鍼灸師主人公の小説『鍼師おしゃあ』

鍼灸師が主人公の小説を読みました。 

笹色の紅―幕末おんな鍼師恋がたり

笹色の紅―幕末おんな鍼師恋がたり

 

私が読んだのは「笹色の紅」の方ですが、文庫になったとき『鍼師おしゃあ―幕末海軍史逸聞』に改題されました。内容は同じです。

鍼師おしゃあ―幕末海軍史逸聞 (小学館文庫)

鍼師おしゃあ―幕末海軍史逸聞 (小学館文庫)

 

幕末〜明治(最後は大正か?)の時代を生きた江戸っ子鍼師おしゃあの物語です。
恋バナあり黒船あり維新あり、予想以上に面白かった!
幕末から明治へと激変していく時世とともに鍼師の立場も変わっていく中で、鍼に対するおしゃあの憂いは、現在へ繋がっていて、うまいこと書いたもんだ、と思いました。

おしゃあの江戸っ子ぶりがかっこいい!鍼師としてのおしゃあもかっこいい!

普段の生活も鍼するときも気っ風がいいおしゃあ。でも、好きな人の前ではとてもかわいいお人なのです。

鍼師の物語ゆえ、ツボの名前、治療の様子、脈診も出てきます。

江戸時代と言えば、鍼灸が医療の中心を担っていた時代。

腕のいいおしゃあはあちこち往診に出かけたり、いろんな人たちがいろんな病でおしゃあが住む長屋に鍼を受けに訪ねてくる。子どもから死ぬ間際の人まで、身分もいろいろな人に、鍼をうつ。

おしゃあは、<銀眼の琢庵>(しろがねまなこのたくあん)と呼ばれた盲人で、評判の鍼名人のたった一人の弟子

琢庵の治療法は、当時の趨勢であった杉山流や石坂流のように弟子をたくさん取っていた流派でなかったため、実に簡略化されたものであった。琢庵いわく、弟子をたくさん取る流派は、弟子の手前どうしても治療法が誰にでもわかるようにハッタリが多くなり、はでやかな分だけ鍼数も多くなるというのである。

鍼数多いのは「ハッタリ」か〜(笑)

明治政府の下で、西洋医学の医師の監督下においてのみ診療が許可され、鍼治灸治が排除されるような通達が出ます。そんな中でのおしゃあの憂い。わかってるな〜。

 おしゃあは、病人を見て、むずかしい病気の名前をつけたりしない。(略)大切なことは病名をつけることではないと思っている。病状を見て、それにあった治療をするだけなのだ。(略)

 もし本当に今後、まったく考え方の違う西洋医学の監視の下でしか、鍼を打てなくなってしまったとしたら、たとえ鍼という形は残ったとしても、鍼本来の持つ効果をあげることはできなくなるだろう。

 おしゃあが心の底で危惧するのは、次第に表面化しはじめている西洋医と鍼灸医の奇妙な分業であった。(略)やがて鍼灸師の元には、肩こり腰痛の患者しか来なくなり、様々な病に対応できるはずの鍼の技術は、そのうちどんどん消滅していってしまうことを意味しているように思われた。

晩年のおしゃあが弟子たちに言った言葉も「THE 職人」って感じ。

 「鍼の技術はね、おまえさん方は開けぬと馬鹿にするかもしれないけど、筋道立てて説明することはできないんだ。だからってあやしげなものとも違う。塗師だって、錺職人だって、てめえのやってる仕事をいちいち筋道を通して説明してみろ、って言われたところで、それはできやしねぇ。でも、だからって、やってる仕事が半端なわけじゃねぇんだ。頭にいくら知恵を詰め込んだってだめサ。一度やってみてうまくいかないと、おまえさんたちはすぐよしてしまうけど、やっぱりいくたびも稽古して、体で覚えなきゃ」

知識だけじゃ鍼は打てぬ、稽古して体で覚えろ!鍼道ですね〜。

巻末に載っていた鍼灸の参考文献はこちら。結構ありますね。

鍼灸極秘抄」 木村太仲
鍼灸重宝記」 本郷正豊
「臨床経穴図」 木下晴都
「杉山流三部書」 杉山和一
鍼灸の医学」 長浜善夫
鍼灸医学精義」 坂本貢
「石坂流鍼術の世界」 町田栄治
「お灸で病気を治した話」 深谷伊三郎
「脈力気力健康全書」 角貝醸計

鍼灸治療については、駒込ハリニックの塚原正樹先生のご指導、だそうです。

韓国ドラマには「ホジュン」(しかもキャスト変えて何回もやってます)とか「馬医」とかありましたが、日本って鍼灸ドラマ、まだないですよね?

「鍼師おしゃあ」ドラマ化されないですかね??求む、映像化!!

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入れ替え可能でない「いのち」に触れる

先日のブログで取り上げたには、東洋医学分野から、医王会指圧センター所長(当時)増永静人氏が書かれたものもありました。タイトルは「母と子の関係ー東洋医学の立場から」。

hitokadoh.hatenablog.com

増永氏は、指圧臨床を通して、子どもの蝕まれゆく状態への提言を語っておられるのですが、鍼灸師にとっても非常に参考になりました。

以下は「切診」の重要性について。少し長いですが、引用します(強調は引用者が付与)。

(略)指圧をただ指で押すものと思わせたのはテレビなどの罪で、本当は漢方診察法の「切診」といって、手指で患者を診る方法が基本なのである。どんな患者でも、診察をせずに治療はできないし、その診察の中で最も大切なのは、患者の肌に触れる「切診」なのである。このことが現代医療から忘れられて久しい。科学的な医療は、客観的な判断や正確な数値を重んじて、人間の主観に動かされるものを遠ざける傾向がある。そこで患者の観察を機械器具に任せて、直接自分でみようとする医者が少なくなった。患者に手を触れてみようともしない医療が、人間同士の触れ合いを失って、人間関係が歪められるのは当然であろう。漢方や鍼灸ですら、自らの手で診断を下すことを疎かにして、客観的な病名や症状で施術をするようになってきた。

鍼灸についても苦言を呈しておられます。患者のからだをよく診ないで、「〇〇にはこのツボ」と自動的に鍼灸することを諌めておられるのでしょう。

子供の臨床例が載っているのですが、これがまさしく同病異治!食欲不振が主訴の、2人のお子さんが紹介されていました。

1人目の3ヶ月の赤ちゃんは胎毒が原因。受療後排便がたくさんあって食欲も出てきてひと安心、と思いきや…医者には相変わらず「体重がふえていない」と叱られ、夫は「そんなにふえないなら入院させたら」とまで言うので、母親は困っている、という話。

見違えるほど血色も良くなり、元気で機嫌よくしている赤ん坊を、ただ数字をみただけで、こんな判断しかできない人たちが多いと、増永先生は嘆いておられます。

2人目の一歳の男の子は食べ過ぎが原因。がこれは表面上で、背後に「母親に構ってほしい」という本当の理由がありました。始めはそれを解せず施術したら、子どもが異常に嫌がったので、増永先生は施術より診断に集中するよう変更。その結果、本当の理由がわかった先生、「子どもを預けた所から連れて帰ったら、良く我慢していたねとウンと抱いて可愛がってやりなさい」と母親に伝えたら、あんなにむずがっていた子がニコニコ笑い出した、という話。この子には指圧の施術はなく、母親へのアドバイスのみ。その通りに接したら、子どもはあれきりすっかり元気になったという。

この子は「聞きわけがよくておとなしい良い子、手をかけなくても大丈夫」と大人たちから見られていたので、その欲求不満を、からだの不調という形で表現していた、ということです。

これは、増永先生が身体だけでなく包括的に、子どもを診ていたという証です。身体だけを切り取って診ていたら、このような診断はできないでしょう。

ここで、増永先生は、大人や親たちが「良い子」を期待することがどれだけ子どもたちを蝕んでいるか、気付いてほしい、と主張されています。

この良い子、というのは、大人や親たちにとって「都合の良い子」という意味である。子どもは本来、のびのびと自分の生命の躍動に従って成長してゆくものなのである。それがしばしば、大人たちの形成した社会の枠組みを外れることになる。このことは、生命が新しい適応の方法を模索して、可能性を見出そうとする本能だと思う。若い生命がこのような冒険を怠れば、人間社会は老化し、時代の変化に対する適応力を失ってしまうのである。 

ここで増永先生は「側彎症」の子どもたちのことに言及されています。

全ての側彎症が若い生命の自由さをおさえつけてなったと一般化はできませんが、単に「背骨が悪い」と背骨だけを矯正しても、本当に治すことはできません。

現代医学は「部分的医療観」。ある部分の異常や障害が全体に悪影響を及ぼしているのだという世界。だから、異常のある部分をとればOK、という局部処置となります。

局部処置で全体が良くなることが無い・・・とは言い切れませんが。
全体を見る視点無くしての局部処置は、人のからだを機械のようにみる「全てが入れ替え可能」な世界に繋がる氣がします。独自性が失われ、唯一無二の存在が抜け落ちていくような。

入れ替え可能となれば、いのちの価値も下がります。本来生きているはずのいのちは、数字としてカウントされ測られ判断されていく。そこには流れがなく、息遣いも聞こえてきません。

対して、東洋医学は全体的医療観です。全体の調和、陰陽の調和の乱れが、ある部分の異常や障害として表出する、という観方。

増永先生がこれを書かれたのは約40年前。

その当時に比べると、現代医学にも全体的(Holistic)な観点が取り入れられてきているように感じますが…いかがでしょうか?

逆に、東洋医学の方は、いのち丸ごとをみる包括的視点がどんどん失われてきているように感じますが…氣のせいでしょうか?

ま、対極が歩みよって統合へと向かっている、とも言えますので、あまり悲観する必要はないのかもしれません…

臨床においては再現可能性を高めていくことが大切。それには統計的概念も必要です。

熱いハートとクールな頭、でしょうか。それを体現するヒトでありたい…です。

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膣トレ後、子宮脱改善

以前、子宮脱のことを書きました。

hitokadoh.hatenablog.com

お盆前、こちらのご相談者と電話でお話しする機会がありました。

お互い最近の近況報告や世間話諸々お話ししたあと、「そういえば・・・」とご報告してくれました。

膣トレ続けていたら、子宮脱が改善してきた、とのこと。

以前は力を入れて踏ん張ると外れそうになっていた(実際外れたこともあった)リングも、今はそんなことも起きず、「外れそう!」という不安もなくなったので、快適だそうです。

リングは引き続き使用されていますが、子宮を摘出して膣を縫って塞ぐ手術をしなくてもよくなったことは、朗報です。

当初は膣を締める感覚が「よくわからない…」とおっしゃっていましたが、わからずとも続けてきたおかげで、子宮脱が改善したわけです。

からだは意識して動かせば、ちゃんと応えてくれるんですね。

「意識して動かす」ことは、他の人にお願いしてやってもらうわけにはいきません。「一緒にやろう」ってことはできますけど。

からだのオーナーであるあなたしか、できないことです。

念のため、膣トレのやり方を書いておきます。こちらのサイトより引用します。

  1. 足を肩幅に開いて立つ。
  2. ゆっくりと息を吸いながら(約5秒)、膣を引き上げるようなイメージで肛門周辺を締めていく。限界まで締めたら息を止め、締めたまま5秒間キープする。※トイレで尿を止めるときの感覚。
  3. 息を吐きながらゆっくりと膣をゆるめていき(約5秒)、元の状態に戻る。

サイトでは「1日5セットを目安に毎日」とお勧めされています。止めてしまうと筋力は低下してしまうので、継続することが大事です。

こちらは“THE トレーニング”って感じになっていますが、私がお伝えしたのは「立っている時に、膣を引き上げる感じで締めてください。いつも意識してください」とザックリした提案でした。

あと、やり始めた時に「感覚がない…」「よくわからない…」という段階で止めてしまうのではなくて、「とにかくやってみる」が大切ですね(私も改めて教えられました)。

「わからない…」ってことは、初めてのこと、新しいことに遭遇しているということです。

その「わからない」を追いかけていったら、新しい「私」が生まれるかもしれませんね。

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前向きに「今」を憂う

野口体操創始者でもある野口三千三氏の本を読もうと、図書館サイトを検索していたところ、こちらの本を発見。

子どものからだは蝕まれている (1979年)

子どものからだは蝕まれている (1979年)

 

当初読むつもりでいた本ではなく、タイトルのインパクトにつられてこちらを借りてしまいました。

出版されたのは今から39年前の1979年。

このときからすでに「子どものからだは蝕まれている」とは…

ときどき子どものからだや体力に関する調査の報道を見かけますが、いつも大抵「このままでは危ない!」という警告めいた文章です。その危機感は最近のことではなく、もうすでに40年前からそうだった、ということです。

昭和53年(1978年)10月にNHK特集「警告!! 子どものからだは蝕まれている」という番組が放送されました。この番組は、ある43歳の母親の投書がきっかけだったそうです。「最近の子どものからだはおかしい。私たちの子ども時代に比べ、体格はよくなっているのに、どうもひ弱な感じがする。すぐ息切れし疲労を訴える。(略)」NHKはプロジェクトチームを作り、長年子どものからだについて研究していた正木健雄教授(当時)が所長であった日体大体育研究所等の協力を仰ぎ、初めて「子どものからだの“おかしさ”」という視点から全国調査を行いました。
こちらの本には、番組で放送された調査の分析結果とともに、動物学や人類学、教育学や医学などの分野からの「子どものからだ」に関する見解・提言などがまとめられています。

40年前から、子どもの“生きる力”の低下が問題視されており、子ども自身にとっても、日本の社会にとっても、このまま放置しておいては、大変な事態になると警告しています。40年前から、現場の教師は「このままでは、手足がダメになり、ただしゃべるだけの人間になってしまう」と、その実態を真剣に憂慮していました。

40年前に書かれたものですが、現在にも通じる内容でした。

一つ時代を感じたのは、自宅出産のことを書いた章の中に記録ノートの記載があり、赤ちゃんに「ハチミツ入りの水を飲ませようとするが受けつけない。」という件り。
「昔は今ほど『子どもにハチミツは食べさせてはダメ』と言われていなかった」というお話を、以前聞いたことがあります。1978年当時は「新生児にハチミツはダメ」というのがまだ一般常識ではなかったのでしょう。

ところで、このような「自分たちの子ども時代に比べて、今の子どもは・・・」「自分たちが若いときと比べて、今の若者は・・・」という説は、あらゆるところで起こっています。

そして大概が、今を憂いて「このまま行ったら危ない!」と警告メッセージを伝えています。

これは、永遠のテーマなんでしょうね。

「昔に比べて今は・・」問題は、現存する中国最古の医学書、黄帝内経にもあります。

素問の上古天真論篇第一に、以下のような記述があります。

廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.
(廼ち天師に問うて曰く。余は聞くに上古の人、春秋みな百歳を度えて、しかも動作は衰えずと。)

今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
(今時の人、年百半ばにして、動作みな衰ろうものは、時世の異なるや、人はた、これを失するや。)
 
岐伯對曰.上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞. 故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
 (岐伯對えて曰く、上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術數に和し 食飮に節有り、起居に常有り、 妄りに勞を作さず。故に能く形と神を倶え、而して盡く其の天年を終え、百歳を度えて乃ち去る。)

今時之人.不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也. 
(今時の人は然(しか)らざるなり。酒を以て漿と為し、妄を以て常と爲す。醉いて以て房に入り、以て其の精を竭さんと欲す。以て其の眞を耗散し、滿を持するを知らず、神を御するに時ならず、務めて其の心を快にし、生きる樂しみに逆らい、起居に節無し。故に百半ばにして衰うなり。) 

昔の人は100歳でも元氣だったのに、今の人は50歳過ぎで衰えるけどどうして?という黄帝の問いに、岐伯が答えています。「節度もって生きろや〜」ということです(かなりザックリ 汗)。
詳しい意訳を知りたい方は、こちらのサイトをご参照ください。

daikei.ichinokai.info

約2,000年前も、昔と比べて「今」を憂いていたんですね〜。

では、一番昔が一番良くて、悪くなっている「今」が延々と続いているのか?、というと、そんな訳でもなく…

これって、人間の性(さが)、というか、DNAにそういう機能がインストールされているのではなかろうか・・・というのが私の妄想です。 

ある年代(個体差があるので、具体的にいくつとは言えない)に達すると、次世代のこと、種の持続性を意識した思考回路をするようになり(自覚無自覚問わず)、「このままではいけない!」的な提言をするようになる。

ある意味この世は、修正点・改善点に溢れており、警告には事欠かない世界です。

そして、この警告メッセージで、何らかに目覚める人も少なからずいる訳で。

そういう目覚めた人たちが一定程度、存在し続けてきたおかげで、今も少しづつ、人という生き物は成長し進化し続けている(はず・・・)。

「憂う」というのは、あまりポジティブ風ではないですが、実はポジティブな効果を生み出してきたんじゃないか、と思った次第です。

前向きに憂うこと、ありでしょう!

ちなみに「子どものからだ」調査は5年ごとに行われていて、最新版は2015年です。こちらから結果をご覧いただけます。
各事象の子どもが「いない」との回答率が100%になった時、もしくは、それに近い値が示された時にその項目を削除する等、1990年調査から“からだのおかしさ”の調査項目の見直し作業を始めているそうですですが、これまで削除された項目はなく、新たな項目が追加されるばかり、とのこと。

子どもたちのからだにとっては憂うべき状況が続いています… 

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やっぱ目指すは治癒だよね、治療でなく

先日読んでいた本に、「治療」と「治癒」は同義ではない、という言葉がありました。

「治療」が病気の状態を完全に生物学的に解決することを意味するのに対し、「治癒」は、心、魂、肉体の各レベル、そしてときにはそれらすべてにわたる、回復と再生のプロセスを意味する。 

治癒は治療よりもはるかに包括的である、とのこと。
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確かに…大いに同意するところです。

いのちにとって大切なのは「治癒」ですが、それは「治療」からもたらされるもの、とは限りません。もちろん治療からのものもありますが、絶対に治療からもたらされる、というわけでもありません。治療を受けなくても治癒がもたらされる、ことはあります。

そう思っているのですが…

つい、治癒の前に治療のことが氣になります。治療のことだけを話してしまいます。
つい、目の前の病いに対して、目の前の「人」に対して、「治療」のメガネを通してしか見ることができなくなっている、ことがあります。

それは大事なことで、ある意味「プロフェッショナル」な態度と言えなくもない。

けれど、知らぬ間に「治療」という枠に囚われていて、つい、忘れています。
もっと大きな存在があることを。 
大切なのは、治療の先にある「治癒」であることを。

当たり前っちゃあ当たり前なのだけれど。知らぬ間に忘れてしまいます。忘れていることすら、忘れています。

だから意識的に意識する必要が、私にはあります。

鍼はからだに打ちますが、そのからだは「からだ」のみの存在ではないし、「からだのその先」までにも届けよう、という意識。

「からだのその先」と言う前に「からだ」に十分届いているのか?と問われれば、・・・。その点はひきつづき精進いたします。

 

治癒がすべて治療の結果ではない(治療以外の結果でもありうるし、または混ざっている)ならば、治療者が治癒をもたらす、のではない。

治癒がどこからやってくるのか、と言えば、治癒される人(病人)自身です。

その人自身にとって治療者は、伴走者のようなもの、応援するサポーターのようなもの、相談者のようなもの。
だから、治療者にすべて支配されている感じ、すべて言いなりの感じは、ちょっと違うでしょう。

とはいえ、お任せしないとできない治療もあるので、そのときは我が身をお預けするしかない。
自分の「お任せ」が信頼感に基づいているのか?従属感に基づいているのか? これって結構微妙…判別するの難しいです。

自分が弱っているとき、立場的に弱いとき、平常時とは違いますから。
「自立して考える、決める」ってこと、言うほど容易くないでしょう。

そういったこともシェアできて尊重してくれる人が治療者だったら、一緒に「治癒への道」を歩いていけそう、ですね。

・・・と相変わらず着地点ないまま、治癒と治療について思ったこと、ツラツラ書きました。 

皆さんのいのちがすこやかでありますように。

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